夏目漱石没後100年ということもあって漱石作品を読み直している。
先日『虞美人草』を読み終わった。

あらすじを手短にまとめるとこんな話。
東京帝国大学を優秀な成績で卒業した詩人で学者の小野清三(おの・せいぞう)が、貧乏な恩師の娘である井上小夜子(いのうえ・さよこ)との五年来の婚約を守って結婚するか、あるいは、資産家の娘で詩を解する才女である甲野藤尾(こうの・ふじお)との恋を成就させて地位と名声を得て更にのし上がるかでうじうじと悩んでいるところに、知人の宗近一(むねちか・はじめ)に「真面目になれ」と説教され、結局、小野は小夜子を選び、振られた藤尾はショックで卒倒してそのまま死んでしまう。

『虞美人草』が論じられる際のポイントの一つに、その文体がある。漱石は明治四〇(1907)年当時でもいささか古びている、あるいはわかりにくいとすらと思われる美文体で作品を書いた。その代表的な文は、第二章冒頭の藤尾の描写である。

紅を弥生に包む昼酣なるに、春を抽んずる紫の濃き一点を、天地の眠れるなかに、鮮やかに滴たらしたるがごとき女である。

岩波文庫版『虞美人草』所収の桶谷秀昭による解説では、
・明治二〇年代から三〇年代の半ばまでは「文学すなわち文章」であり、美文が書けるかどうかが小説家に問われていた。(例えば尾崎紅葉や幸田露伴)
・しかし自然主義の台頭により、美文は、生活の実際を描こうとするのを邪魔する余計な装飾と見なされた。
・にもかかわらず漱石が美文でもって『虞美人草』を書いた理由は、
(1)当時の一般読者の趣好はまだ「小説=美文」というものであり、
(2)漱石自身、現実生活とは別の次元の世界を創造するには文語体の美文がふさわしいと考えたから
と指摘されている。

とはいえ、今回改めて作品を読んで感じたのは、美文の背後に垣間見える漱石の茶目っ気であった。例えば、第三章の冒頭、京都の旅館で甲野欽吾(こうの・きんご)と宗近一が、部屋に書けてある額を見ながら話している場面。

(甲野)「君あの額の字が読めるかい」
(宗近)「なるほど妙だね。セン雨シュウ風(引用者註・この「セン」「シュウ」の漢字はパソコンで表示できない)か。見た事がないな。何でも人扁だから、人がどうかするんだろう。いらざる字を書きやがる。元来何者だい」
(甲野)「分らんね」
(宗近)「分からんでもいいや(以下略)」

要するに「わからない個所にはこだわらなくていい」というわけである。

そもそも、『虞美人草』のなかで美文調の文体に凝った個所は決して多くない。会話文はもとより地の文も平易に書かれている個所の方が多い。(ゆえに、作者がどの個所で美文をものしたかを考えることが重要になるのだが、これを考えるのはまた別の機会に。)かつて正宗白鳥はこの作品を「厚化粧」と評したが、私にはむしろその化粧顔の口元からペロリと舌を出す作者の茶目っ気が感じられるのである。

なお、この度作品を読み直して笑ってしまったのは第八章、宗近一とその父、妹の糸子そして甲野の四人による馬鹿話が延々と続いた最末の一文。

今夕の会話はアハハハハに始まってアハハハハに終った。

これぞ『猫』以来の漱石節である。

 

 

 

 

 

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